【ワーキングホリデー】

【体験談】新卒で入った古風な会社の3年間|入社から辞表を出すまで

はじめに

【会社帰りによく寄り道した日比谷公園】

この記事を書いた Ronin(X: @Roninwalker03) です。X(旧Twitter)では旅行・アウトドア・フリーランスの情報を発信中!ぜひフォローしてください。

 

この記事では、ワーキングホリデーに行くまでの自分の事を少し書いて行きたいと思う。

前回の記事では、会社を辞めた理由を書いた。今回の記事では、実際に僕が働いていた会社がどのような会社だったのか、どのようにして新卒から4年間を過ごしたのかを書いていきたいと思います。

 

 

就職|「働きやすさ」を求めて入った古風な会社

【定期的に読み直しています】

人生で最初で最後の「新卒カード」を使って就職した会社。

 

振り返ってみれば就職した会社は「非常に古風な会社」だった。

従業員100人以下、堅実経営をウリにしている硬い会社。

 

会社説明会では紹介されていた。

 

僕は「堅実、ベンチャーではない。」

オラオラしていない静かな会社で働きたい。

 

やりたい仕事<働きやすい会社

それを指標に就職活動を行っていた。

 

1代で会社を築きあげた社長をはじめ役員は全て創業メンバー。

社員の年齢層が高く平均年齢は50代以上で30代の社員は数人。

 

20代の社員はいない会社だった。

 

そして、この会社は新卒社員を採用するのも初めて。

それまでは全て中途社員の採用のみを行っていたらしい。

 

新卒採用の理由としては「社内の若返り」が理由だった。

入社した頃、先輩と言えば10歳以上年齢が離れていた人が先輩だった。

 

 

 

 

 

新人時代|印象的だった研修と”内定前の社員旅行”

僕を含めた新入社員は10名程度いた。入社してからすぐに外部のマナー研修の会社の研修に参加した。研修は名刺の交換方法や、グループワーク、議題について話し合う、などだった。

この時の一番の思い出。

初対面のグループワークで一緒になったある女の子がいた。研修が厳しかったのか彼女が研修の途中で泣き出してしまい、僕らのグループがなんだか変に目立っていた事。

そして、研修が終わり他のメンバーと社交辞令的に連絡先を交換したのだが、唯一連絡して来たのが「泣いちゃった彼女」だった。

 

おやおや?

久々に連絡が来たぞ!

 

数通のメールのやり取りの後に彼女からのメールで良く聞くあの言葉が…。

 

「あのね!選挙で応援してほしいんだけど…。」

 

と言われ、その瞬間に連絡先を削除したてブロックした。

 

そんな思い出深い研修から数ヶ月後。社長に言われたが「あの研修に一人10万以上掛かっている」と言われた。あの研修が10万以上もするのか?会社組織は本当に大きなお金が動く物だと不思議にも思った。

自社の先輩が仕事を教えるのではなく、外部の研修期間に教えて貰うのだから社会人になって塾に行くのと同じだ。そこまでお金を掛けてくれた社員も退職するのだから会社としても、そのリスクを含めた給与水準にしないといけないのだから経営者は大変だし、新入社員の生活もカツカツな訳だ。

あと、この会社で特徴的だったのが内定が決まった後、入社する前に社員旅行へも招待された。しかし、この「内定前旅行」は僕を含め、内定者の9割が断っていた。

お盆休みを利用して計画されたこの旅行の時期。僕はEUへ初渡航する予定を立てていたし、他の内定者も卒業旅行を計画していた。その後、経理の女性から「新幹線のチケットが無駄になった」と言われた。「参加します!」と言った覚えはないのだが、どうやら面接で社員旅行について聞かれ「良いですね!」と言った。

その一言が参加表明と理解されたようだった。

この事を友人に話すと「えっ?それはおかしいよ。」と言われ飲み会のネタになったものだ。そして会社に入社して、新入社員が皆悩むであろう事を同じように悩みながらも仕事に励む日々を送る。

 

営業の日々|サボりも覚えた日常と忘れられない出会い

営業職だった僕は、何をした訳でも無いがボチボチな成績を上げられていた。

これは関わったお客さんが自分を引き上げてくれたことに他ならない。

 

そして、会社の色々な人と関わるようになる。

会社の中には釣りバカ日誌のハマちゃんのような人もいる。

 

遊んでいるようで大きな仕事を取ってくるような人だ。

営業職なので数字を取ってくれば邪険にされないタイプの人だ。

 

僕は入社まもなくしてそのようなタイプの人と仲良くなっていった。

会社としては古参の社員と新卒社員はあまり関わらせたくない様子だった。

 

ちなみにカメラが本格的に趣味になったのもこの頃だったかも知れない。

僕がニコンのカメラを使いだした理由は僕が大好きだったお客さんの影響でもある。

 

そのお客さんは毎年アフリカのケニアに動物写真を撮影しに通う人だった。

 

いつか一緒に行きたいと2人で話をしていたが、しばらくしてその人は癌を患い入院。

その後、久々に連絡を取るとお客さんは入院中とのことだった。

 

その後時々連絡を試みたが連絡がつかなくなってしまった。

 

自分の親父以上に年齢が離れていたが、

僕にとってお客さんの域を超えた”トモダチ”だった。

 

退職|3年目ブルーと辞表を出すまでの心境

【会社帰りの日比谷公園がお気に入りだった】

そんな仕事先で働いて3年目となった頃。「3年目ブルー」が訪れた。

 

その頃には大体仕事の内容が分かってきたつもりになっていた。

楽しさと、つまらなさが頭の中をループ。

 

不満を夜の居酒屋で酒と一緒に流し込む。

そんな時期に突入していた。

 

何もできないのにできているつもり。

その頃になると満員電車に乗るのも何も感じなくなっていた。

 

あの苦痛も3年も乗っていれば何も感じなくなる。

それも自分の中で「やばい」と思った瞬間だった。

 

毎日行われる、社長の「ありがたい話」を聞くだけの朝礼。

予定には無かった会議を終業時刻以降に思いつきで開催される残業会議。

 

もちろん残業手当はない。

会議が終わった瞬間に若手の社員は蜘蛛の子を散らすように帰って行く。

 

満足行くまで仕事の事から私的な事まで話し終えた社長は大満足そうだったのが印象的だ。

はっきり言って、その生活が一生続くのは耐えられないと思いはじめてもいた。

 

「あぁ仕事辞めたい」

 

その頃にはただ、月曜日から金曜日まで仕事をして土日を楽しみにする。

そんなポンコツマインドの会社員が出来上がっていた。

 

そんな日々が続いた頃、僕が高校生の時に付き合っていた友人とふとした縁で再会した。

久々に会う友人、僕とは違った波乱万丈ながらも刺激のある人生を歩んでいた友人。

 

そんな彼の姿が、淀んだ当時の僕には魅力的にうつった。

(詐欺や美味しい話に引っかかるのはこんな心持ちの時なんだろう)

 

「俺と一緒に仕事しない?」

 

彼と遊び始め、そんな話が頻繁に出るようになった。

 

そして入社4年目に近づいた頃。

僕は会社に辞表を提出した。

 

 


この記事のまとめ

  • 新卒カードで入社したのは従業員100人以下の古風な会社
  • 外部研修や「内定前の社員旅行」など印象的な新人時代
  • 営業の日々ではサボりも覚えつつ、忘れられない出会いも
  • 3年目ブルーが訪れ、辞表を出すまでの心境を綴る

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