筆者のRonin(Ronin@ No more work)です!
【前回の記事はこちらから】
https://roninlife03.com/2021/06/20/workaus07/
ねぇ?
自分のやりたい事って何なの?
いつも思っている。
目標が明確になって、それにまっすぐに向かう事がどれだけ楽しくて、ワクワクするのか。
2011年の夏。
僕は失業保険を受給しながら、ぼーっと求人を見る夏を送っていた。
身の入らない行動ほど意味をなさないものはない。
なんとなく…。
で物事に着手する行為は一番時間を無駄にしている行為だと思う。
求人検索やエージェントから届くオファーもどれも、しっくりこず、やる気の無い日々を送っていた。
梅雨が明けた東京の一室。
冷たすぎるエアコンの効いた自宅から一歩も外に出ない日も多くなっていた。
周りの友人が忙しく仕事をしている最中、自分はPCの前に半日以上座っているだけ。
飯を食って、ネットをして寝る。
「行動したいけど、行動する情熱が沸かない。」
そんな日々を送っていた。
会社を辞めたいと思い会社を辞めた後、楽しいのはせいぜい1ヶ月ぐらいだろう。
それだけあれば、普段、仕事で「時間がなくて出来ない」と言っている事は大抵やり尽くしてしまう。
やり尽くしてしまった後は地獄の日々だ。
“休日の有り難さは忙しさの中にあり”
多く与えられれば、それに対しての有り難みもなくなる。
サウナと一緒で辛い経験をしてからの水風呂がありがたいのと一緒だ。
梅雨が終わり、夏の日差しがギラギラと輝きセミが泣き始める頃。
日光も浴びず、自宅の薄暗い部屋で昼夜逆転になりそうな生活をしている自分に警笛がなった。
「このままじゃ本格的にダメになってしまう…」
そこで、何か行動を起こしてみようと考えた。
自分一人で考えが固まってしまったら人に会おう。
まず1番に取り掛かったのが信用出来る旧知の友人を尋ねること。
そして、被災地ボランティアに参加する事だった。
行き詰まった時には新しい物や体験に触れる事で、新しい発想が生まれて来る。
PCの前に居るだけでは何も始まらない。
思考が巡るばかりで次のステップにはいけない。
今の生活圏内で出会う友人とは違った生活圏にいる遠隔地の友人を尋ねることにした。
その友人との出会いは自動車免許の合宿の時なので10年来の付き合いになる。
さっそく、僕はSNSを通して彼に連絡。
日程を調整して彼に会いに信州は長野県に出かけて見ることにした。
その友人は始めて出会った時でこそ、派手な田舎の服装をしたヤンキーという感じだった。
しかし、今回数年ぶりに再会した彼は以前とは全く違っていた。
その友人はかつて地元でフリーターをしていたが、今では経営者になっていた。
地元に根付いた仕事で、行政から委託されるような硬い仕事を受託するほどの凄腕だ。
職種でいえばデザイナーやプログラマーだ。
当時の僕には全く縁のない仕事をしていた。
東京で僕の周りにいる友人と言えば肉体労働や営業をしている人間ばかり。
違う世界で生きている彼の仕事の話は新鮮だった。
なぜ?どうして? 今の立ち位置にたどり着いたのか??
聞けばやはり色々な「出会い」からその道につながったという。
プログラミング、コンピュータに出会った事で才能が開花。
没頭できる趣味を見つけた結果、それが仕事に繋がっていったようだ。
その友人には良く、カメラの事も随分と教えてもらった。
星の撮影、夜景の撮影、動画撮影からのムービー作成など…。
今でも夜景や星景写真が好きなのは、この友人の影響からかも知れない。
とてもエネルギッシュに自分自身の仕事の事を語ってくれた友人。
地元を愛し、自然を愛し、仕事に傾ける情熱を僕に教えてくれた。
この久々の出会いはそのような経験を僕に残した。
そして、2011年の3月に起こった東北大震災。
このボランティア活動に夏は定期的に参加する事にした。
自身で選択してボランティア活動に参加するのは人生で初めての体験だった。
僕自身、仕事の無い毎日で体には体力が有り余っていたし、被災地を自分の目で見て見たかった。それが参加する理由になった。
参加する為にはどうしたらいいのか??
ネットで検索し、ボランティア団体を探し応募。参加費を払ってボランティアに参加した。
そこには、今までの生活圏内では決して知り合う事は出来ない人たちとの出会いがあった。
とにかく個性的な人が多い。
それと活動に参加している人達は「誰もが知っている名前の大企業の勤め人」や
「医師」「国立大学の大学生」など社会的地位が高い人も多かった。
ガレキの除去作業が多かったが、それ意外にも地元の祭りの設営等も行った。
地元の人に当時の話を聞いた時の事は今でも忘れない。
ガレキの下から生活用品や写真を見つけた時には、なんともいえない気持ちになった。
もしも自分がこの立場になったら…。
休憩時間になり各自が、海や岸辺に散乱したガレキたちを前に支給された弁当を食した。
色々な思いがこみ上げた。きっと自分の目で見た人にしか感情だろう。
自分の中で処理出来ない気持ちになりながら作業にあたった。
この被災地ボランティアには沢山の団体が日本中から参加していた。
自分でお金を払って参加するのであって、誰に言われて参加するでもない。
自主的に参加している人ばかりなので、とても雰囲気が良いのが印象的に残っている。
そして、ここで出会った人々は、皆が皆、実行力があり有能な人ばかりだった。
辛い仕事も自分が率先して参加。
人の采配も、全くストレスが無くスムーズ。
多くの参加者の中で話をする機会があった人は本当に有能で能力のある人ばかりだった。
絵を書く人、楽器の演奏者、学校の先生、など自分が生活している圏内では絶対に会わない人たちとの出会いも刺激になった。
ここに参加して学んだ事は沢山あった。
皆が輝いている人ばかりなのだ。
人が輝いて見えるという意味をこの時始めて分かったかも知れない。
「物運び」しか出来ない無能な自分がここにいて良いのか?
と不安になるぐらいの空気感だったが、ただの杞憂だった。
「自分の出来ることをやる」
「自主的に行動する」
このボランティア活動で強く学んだ事だった。
こういう人たちのオーラは本当に凄まじい力がある。
一番に人に感謝される。
というのは人間誰しも嬉しいものである。
やはり人は誰かの役に立つ事に人は喜びを感じるものなのだ。
独りよがり、ぼっちは何も産まない。
そして、被災地へのボランティアを通して自分の中に、新しい何かが見つかった。
自分を変えてくれるのも、全ては人との出会いから始まるのだ。
もし、同じ用に悩んでいる人がいれば言いたい。
人に会うことだ。新しい経験をすることだ。
目に、体に、脳に刺激を当てえてあげるのだ。
「今、自分の中でやり残した事をやろう」
「時間は沢山ある。失敗してもいいからやってみよう」
TVやネットでも、この震災をきっかけに考え方や行動が変わった人を多く見かけた。
「やるなら今しかない」
「やらないで後悔したくない」
「明日がどうなるかは誰も分からない」
そういう事をこの大震災から経験した人も多かったし、僕自身もその一人だった。
そして、東京の自宅に返り、新しい事に挑戦しようと「目的を考える日々」が続いた。
自分のやりたいこと…。
一生に一度は海外に長く住んでみたい。
僕の小さい頃からの夢でもあった。
18歳で初体験した沖縄での1ヶ月の生活。
19歳で初体験したアメリカでの1ヶ月のホームステイ。
22歳で初体験したEUを電車で巡った1ヶ月の旅。
今回はこれ以上の挑戦をして見たい。
そう思いたどり着いた先がワーキングホリデーだった。
その行き先はカナダ、オーストラリア、ニュージーランド…。
ビザを取得出来る国は数々あった。
そして僕が最終的に選択したのはオーストラリアだった。
理由は周りに行った事がある人が多かったから。
小学校の時の先生が旅行に行った写真を見せてくれた。
友人の家にオーストラリア人の学生がホームステイしてた。
英語の先生がオーストラリア人だった。
そんな理由からから渡航先をオーストラリアに選んだ。
27歳、ほとんどの国がワーキングホリデービザを発給しているのが30歳まで。
「まだ行ける!よしこれだ!!」
2011年の10月。
僕はオーストラリアへのワーキングホリデーに出発する為に行動を開始した。
また次回の記事もよろしく!!
