【2002年 ロサンゼルス 有名ホットドッグ店 PINKS】
筆者のRonin(Ronin@ No more work)です!
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https://roninlife03.com/2021/06/22/workaus08/
友人との出会い。
被災地ボランティア。
普段の生活圏から一歩外に出た行動をした結果、浮かんで来た海外での長期生活。
その「思い」を可能にしたのが"ワーキングホリデービザ”の存在だった。
オーストラリアへ1年の滞在許可。
そして観光ビザとは違うのは現地で労働が出来るということ。
その他には、現地で語学学校へ通っても良い。
1年間をどのように使うかは本人の自由。
「何をしなくてはいけない」
ということは何もないし、いやになったらいつでも帰国OKだ。
【2003年 ロサンゼルス 町中を使った映画撮影の様子】
この時、現地へ出発する僕の情報入手先はインターネットが全てだった。
今でこそ、海外へ躊躇なく出掛ける事が出来るが2011年当時。
僕の周りには海外情報に明るい友人・知人は皆無だった。
その頃には僕は既に、旅のスタイルが個人旅行になっていた。
もともと、当時の友人知人に海外に興味がある人達が少なかった事もある。
「そんなに海外行って何するの?」
「仕事は?トモダチは??」
何処かに出かけようと思い立って友人を誘っても、一緒に行動する人は少なかった。
むしろ、何処に行くのも「トモダチを連れ立って」という方が自分には合わなかったのだ。
YouTubeも今の物とは全く別物で情報を発信しているチャンネルも少なかった。
フェイスブックなどのSNS等もまだまだ日本では馴染みが浅かった。
いざオーストラリアへ行って見ることを決めた所までは良かった。
知り合いも居ない、目的もない、ではただの観光の延長で終わってしまう。
何か目的を作る必要があった。
そこで、一番に浮かんだのが「語学留学」で英語の勉強をすることだった。
「観光」か「勉強」かの2択。
1年間を観光だけで過ごすのは想像出来なかったし。
働けるのが最高のアドバンテージとなる「ワーホリビザ」を持っていても、自分自身が海外で働いてお金を得る。その姿はどのようにしても想像出来なかった。
想像出来ないのはやったことがないからだ。
経験しないと何も始まらないし、想像すら出来ない。
経験もイメージも出来なくても飛び込んでしまう事が出来るのが若さだと思う。
だから旅に出る、挑戦するのなら年齢が若い方が良いのは間違いない。
どうせなら英語を話せるようになってオーストラリアから帰って来たい。
大体の人が海外で考えるのはそんな所だろう。
【2003年 ロサンゼルス 吉野家は現地でも大繁盛】
僕は、このワーキングホリデーにある「夢と幻想」を抱いていた。
“海外で勉強して箔をつけて日本で英語を使う会社に再就職する”ということ。
まだまだ、会社員、正社員神話を信じてやまない頃だった。
満員電車、都心への勤務、同調圧力。
実はそれって凄い安心する。
「人と同じ行動をする」のは、それなりにお金も生むし、人の輪の中にいられる。
だから安心するし心地よいものなのだ。
半年後か1年後か…。
英語がペラペラになって、オフィスで以前のように働く自分を強く想像していた。
夢、金、時間を持った僕はワーホリの準備に取り掛かっていった。
そこでまず取っ掛かりとして、ネットを検索しオーストラリアの語学学校を斡旋しているエージェントを探す事からスタートした。
このエージェントに期待した事は、「語学学校への入学手続き」「住居探し」「生活のサポート」このあたり。
そして検索を開始するとエージェントは山のように出てきた。
大手から個人が行っているエージェントまで本当に山のように出てきたのだ。
大別すると、次の3種類の語学学校への入学方法が見つかった。
1.日本に事務所がある留学エージェントを使う。
2.現地に事務所がある留学エージェントを使う。
3.エージェントを通さないで直接学校へ申し込む。
まず、1.について。
この方法は過去にアメリカに留学する時に使った。
当時使ったのが国内にある大手留学エージェント。
新宿にオフィスがあり留学前に事務所で英語のレッスンに無料で参加出来る。
大手ならではの付加価値のついたサービスがウリのエージェントだった。
しかし、費用が高いのがデメリットだった。
誰にでも目に付く目立つ広告、英語や留学などに「夢」を妄想させるカウンセリング。
大手ならではのガッチリとしたマーケティングに、当時の僕はスッポリとハマった。
当時、この会社の開催する英語のレッスンに参加した事がある。
メンバーは全て女性であり、事務職等で専門性が薄い職種の人が多かった。
やはり僕と同じで将来に漠然と不安を抱えていて、何か自分の付加価値をあげたい。
そう思った時に近づいて来るのが「英会話スキル」なのだ。
【2003年 ロサンゼルス 日本でも西海外系のラップが大流行してた】
英会話を学びたいと思うのは男性よりも女性の方が多い。
当時の僕も含め、自分の意識している波長&レベルが合致するエージェントに出会いやすい傾向がある。
全くの初心者で情弱な場合は費用が高額でも手取り足取り教えてくれる上記のようなエージェントが合致するのだ。
悪い事では無いが、やはり、情報を深掘りしなければ浅い層までしかたどり着けない。
その頑張りの対価は金銭なのだ。知識を学ばなければ、その分は金銭で補う。
高い金を払い安心を買う。
アメリカに行った時に学校の校長が言っていた言葉を忘れない。
「私は日本人のそういう部分が弱い所を知っている。」
「だから日本人を対象にした学校ビジネスは良いビジネスなのだ」
と言っていた事だ。
重ねていうが悪いことじゃ無い。
そういうシステムなのだ。
【2003年 ロサンゼルス ダウンタウンの様子】
僕も当時の経験からそれは学ばせてもらった。
当時のアメリカ留学の経験から1.の選択肢は排除した。
アメリカでの1ヶ月のホームステイでは結局あまり英語を話せるようにならなかった。
掛けた費用と英語スキルを比較したら随分高い買い物になった。
しかし、それが今回の1.の選択肢を排除する経験になったのだからヨシとしよう。
3.の直接コンタクトするは当時の僕にはレベルが高すぎた。
直接申し込めるのかがわからなかったし、今ほどネットでの検索スキルも高くなかった。
そうすると残ったのは2.の「現地のエージェント」に連絡するということ。
そこで、僕はオーストラリアの現地の留学エージェントを探すことにした。
エージェントを探すにしても、まず決めることがある。
「自分がオーストラリアの何処の街に行くのか?」ということ。
オーストラリアは大きい。
国土は日本の21倍の大きさで人口は6分の1。
首都はキャンベラという場所。
東京の丸の内のような場所で行政機関が集中している場所である。
いざ生活するとなった場合、外国から来た人が丸の内にステイする事はないだろう。
そこで留学する場所は以下の4都市の中から決めることにした。
1.シドニー
2.メルボルン
3.ブリスベン
4.パース
5.ケアンズ
結論から1.シドニーを渡航先に決めた。
理由はネット検索して一番情報量が多かったからだ。
日本からの直行便の数も多く、情報が何も無ければ、まずは都市部へ…。
日本でも初めて東京へ行くのなら「新宿へ」という感覚に近かったかも知れない。
行き先はシドニー ⇨ シドニーの語学学校へ行く。
この流れで行くことに決めてシドニーのエージェントを探す事にした。
また次回の記事もよろしく!!
